巨大なスクランブル交差点をみんなと一緒に歩いている。先ほどからやたらと知り合いの姿を見かける。反対側から初老の紳士がやってきた。彼もまた私の知り合いであった。彼はこちらに気づいて近寄ってきて、私たちがどこへ向かっているのか聞いてきた。「どこでしょう、わかりません。」と答えると、彼は私の胸元を一瞥し、
「君はまだそんなネクタイをしているのか、もっといいものを買いに行こう。」
と言った。
紳士のきっちりとしたスーツの着こなしや、眼鏡のよく手入れされている感じから、知らない人から見ても、彼が身の回りの物を丁寧に扱っていることはすぐにわかるだろう。懐中時計とか持ってそうな、いかにもきちんとしている感じを漂わせている。私のように適当にしているのは見ていられないのだろう。それにしても、随分としつこくネクタイを買うことを勧めてくる。私は、
「ネクタイいらないです。」「そんないいネクタイ買えないです。」
と初めは何度も拒否していたが、あんまり紳士がしつこいので、強引に交差点を渡ろうと歩みを進めた。
すると紳士は、ネクタイに気をつかうことの重要性を説きながら私について来た。みんなとはとっくにはぐれてしまい、いつの間にか紳士は私の前に出て、無理やりネクタイ屋に連れていこうとしてくる。私は昼休憩がもうすぐ終わってしまうので戻らなければと焦るが、結局紳士の圧に負けて後をついていくことになった。こんなに強引に勧めてくるのだから、きっとネクタイ代を出してくれるに違いない、という期待もあった。
我々は目的地に到着した。店の中には、ごく普通のネクタイからピンクやグレーといった色とりどりのもの、毛糸の生地や裏起毛生地のものなど、さまざまなネクタイが吊るされている。今はこんなにいろんなタイプのネクタイが流行っているのか、と感心する。紳士はエスカレーターを使って上の階に昇るので、私も後をつける。
そして気づく。ここはどうやらネクタイ屋ではなく百均らしい。さきほどまであんなにネクタイの話をしていたのに、我々は今や湯呑みコーナーを物色している。基本的にはみんな税抜き100円だが、どれもデザインがいまいちである。桜と富士山のイラストがパステルカラーで描かれたものが目に留まり、値段をみると税抜き300円である。
(やっぱりかわいいやつは高いんだな…300円のやつがいいけどお金出してもらうのに高いやつを選ぶのは避けるべきかな…でも他に気に入ったものもないし…)
と悩んでいると、下から母の声が聞こえてきた。
(やっぱり遅れること連絡しなきゃいけなかったんだ、怒られる…!)
と焦る。
母は下に降りていった紳士に、私がどこにいるか尋ねた。紳士は私がここにいることを告げた。この紳士は、どうやら私の父であるらしかった。なぜ今まで気づかなかったのだろう。母は「ああそこにいるのね」といった感じで、てっきり怒られると思っていた私は拍子抜けしてしまった。階段を数段降りると、向かいの踊り場のテーブルで、こちらを見ながら誰かとおしゃべりをしている母の姿が見えた。